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- ■1909(明治42)年4月1日 / 外島保養院の設立
- 公立療養所が全国に設置され、第三区である大阪に邑久光明園の前身となる外島保養院が設立された。
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- ■1934(昭和9)年9月21日 / 室戸台風による被害
- 室戸台風により外島保養院東海流出。187名(入院者173名、職員3名、職員家族11名)が遭難死亡。
台風禍を免れた入所者は、各地のハンセン病療養所へ委託されることが決定した。
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- ■1938(昭和13)年4月27日 / 「邑久光明園」開園
- 外島保養園の長島への再建工事が完了し、名称も「邑久光明園」と改められた。各地に委託されていた患者復帰。
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- ■1972(昭和47)年 / 邑久光明園、長島愛生園の連合で長島架橋促進委員会設置
- 「人間回復」への橋を実現するため、架橋促進委員会が国、県、地元に要請運動を展開。
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- ■1988(昭和63)年 / 邑久長島大橋開通
- 隔離からの解放を象徴する橋が架橋促進委員会の運動や国、県、地元の協力により、16年の年月を経て開通した。
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- ■1999(平成11)年 / 岡山地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提訴
- 長島愛生園・邑久光明園の入所者11名。
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- ■2001(平成13)年 / 岡山地裁において和解成立
- 国が法的責任を認めて謝罪。
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- ■2003(平成15)年8月8日 / 長島愛生園歴史館開館
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- ■2005(平成17)年10月23日 / 天皇皇后両陛下 行幸啓
国立療養所である長島愛生園・邑久光明園それぞれのこれまでの歩みをご紹介します。
長島愛生園の歩み
邑久光明園の歩み
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- ■1930(昭和5)年11月20日 / 全国初の国立療養所
- 初めての国立療養所である長島愛生園の開所式が行われた
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- ■1936(昭和11)年8月10日〜28日 / 長島事件
- 入所者が患者の自治権、労働環境の改善を求めた「長島事件」が起こる。
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- ■1936(昭和11)年12月1日 / 「自助会」発足
- 入所者による自治会である「自助会」が発足。
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- ■1972(昭和47)年 / 邑久光明園、長島愛生園の連合で長島架橋促進委員会設置
- 「人間回復」への橋を実現するため、架橋促進委員会が国、県、地元に要請運動を展開。
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- ■1988(昭和63)年 / 邑久長島大橋開通
- 隔離からの解放を象徴する橋が架橋促進委員会の運動や国、県、地元の協力により、16年の年月を経て開通した。
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- ■1999(平成11)年 / 岡山地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提訴
- 長島愛生園・邑久光明園の入所者11名。
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- ■2001(平成13)年 / 岡山地裁において和解成立
- 国が法的責任を認めて謝罪。
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- ■2003(平成15)年8月8日 / 長島愛生園歴史館開館
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- ■2005(平成17)年10月23日 / 天皇皇后両陛下 行幸啓